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SOUNDS BRASS AND AYOTTE BLOG あるsnsから

2016'01.12 (Tue)

あるsnsから

現代室内楽作品で打楽器以外の奏者がグラスやチューブなど自分の楽器以外を演奏する作品について感慨深い体験があった。それはその作品をレパートリーとし ている(初めてのリハではない)某アンサンブルのリハを見学したところ、ある打楽器以外の奏者が使用する物がその奏者のそばには見えなかった(続

承)しかしリハはそのままスタート。指揮者「あれ、xxxはどうしたの?」とその奏者に聞くとその人は「知らない」とそれが何か的な表情。指揮者が「ス テージマネジャーはどこだ?xxx(打楽器奏者の名前)どこにあるか知らない?」というと動きだした。しかしそれを使う本人は座ったまま(続

承前)打楽器の人がステージ係に電話をし、5分くらいあとにそのものを持ってきた。ちなみにその人は、そのアンサンブルのメンバーだそうだ。現代作品に は、使用する「楽器」の種類や幅が広がってくるのだけど、その人にとっては、それは楽器じゃなくて「もの」なのかなと思った。しかも、自分が(続

承前)音楽に使用する/演奏するにもかかわらず、リハまでにそこにない状況が気にならないってどういうことなんだろう、と考えた。誰かが用意してくれるべきものであったかもしれないのは構わないのだけど、あの他人事感は私にとって衝撃的だった

あと、ステージ係同様に打楽器奏者がその人のためにその物を探しているのをその奏者は座って見ていて、この人にとって打楽器奏者は一緒に演奏する仲間であ るという認識はどこまであるのかしら、と思った。でもこういう状況って打楽器の人なら知っていると思うけど、よくあるんです。
色々なアンサンブルを割と見てきた方だと思いますが、この他人事感的な状況があるアンサンブルの方が世の中多い、またその解決方法を一緒に探してくれない ことも多いことがわかり、それが私が自分がアンサンブルのメンバーになることに消極的な理由です。ゲストだとそういう状況に片目つぶれるので。

その他人事な演奏家が悪い人ではない、というのも事実。だからなおのこと辛い。

他人事ではなく近年とくにそう思う。
譜面とマレットだけ持ってきて
演奏だけして帰るのは簡単な事なんだよね。

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